僕のうつ病体験記 青年期編 (19816月~19824月頃:23歳から24歳の間)

 大学を卒業して、N計算センターに就職をしました。いわゆるソフトウェアの会社です。研修段階から、「ソフトウェアは自分には向かないな」と思いました。(住んでいたところは会社の寮でしたが電車で1時間半はかかっていました。)

 物事に集中できなくなり、だんだんと食べられなくなりました。薬局へ行って薬を買ってはみました。当時はうつ病なんて言うものを知りませんでした。内科を受診して、異常がないと言われ、精神科クリニックを紹介され、受診しました。うつ病と診断されました。医師からは「大きな判断をしないように」と言われました。

しかし、塾教師に転職をしようと思い、求人のあった塾に行き、試験を受けました。が、頭が全然回らなくて、自分で無理だと判断しました。転職活動をしたことを医師に話したら「今は転職を考える時ではない。」と叱られました。でも、転職すれば何とかなるかもしれないと思ったのです。 

夏前に、人事課長にやめたいと申し出ましたが、課長からは慰留されました。配置換えなどをされましたが、仕事は全くできない状態になり、やめる決心をしました。 

結局、やめて、新潟の実家に戻りました。実家があるのはありがたいことです。

実家ではひたすら寝ていました。思い描くことは人生に絶望するような内容ばかりです。 

母がずっと寝ている僕をなじったりしました。
母:「お前がこんなだから家が暗いじゃないか」など。
母は親戚の人が来ると「自分の子ばかり、なんでこうなるんだ?」と訴えていました。

ごはんも食べずにひたすら寝ていました。母がおにぎりを作って枕元に置いてくれました。
あまりの空腹のときはそれを食べていました。

 親が信仰している宗教を僕は信じていませんでしたが、あまりに母が薦めるものだからお祓いを受け入れました。しかし、教祖がお祓いを始めてからしばらくして、僕は「やめろ!こんなことで治るわけなんかない!」と叫んで中断させました。

 数か月して、ようやく動けるようになりました。自分で精神病院へ行きました。祖父は「あんなところへ行くもんじゃない。気違いが行くところだ」と言っていました。 

だんだんと回復しました。 

僕は学生時代からいろいろと疑問を持ちながら学習してきたので、「科学教育なら自分にもできるかもしれない。」と思い始めました。そして、問題集を買ってきて教員採用試験の勉強を始めました。教員枠としては高校物理が希望でしたが、独学で大学の物理の内容の勉強は難しいと判断し、中学理科を希望することにしました。中学理科の専門教養の問題は高校の理科の内容で出題されていたのです。このくらいの難易度なら独学できると思ったのです。

 その年の採用試験には落ちましたが、臨時教員の口がかかり198212月から働き始めました。

 
  うつ病に対しての正しい知識がとても大事だと思います。