昔話学校編4 場面かん黙の生徒への対応  修学旅行に全員が行けて僕は満足です。2003317

中学校 五十嵐淳至 

 僻地勤務です。3月12日から3日間修学旅行でした。2年生8人です。少ない人数で楽だろうと思う人もいるでしょうが、ここまでくるのはけっこう大変でした。 

 まず添乗員をつけるだけの予算がありません。まさに引率が僕の責任です。 副任は臨時職で、修学旅行ははじめてという人です。もちろん手伝ってもらいましたが、いろいろと指示を出さなければなりませんでした。 

 相談室登校の寛美さんは学校ではまったくしゃべりません。1年のはじめはずっと保健室のベッドで寝ていました。修学旅行もはじめは「行かない」という意思表示でしたが、僕が何とか説得して行ってもらうことを承知してもらいました。ただし、親同伴が条件です。言葉で意思表示しないので具合が悪くなったときには対処に困ると思ったからです。 

 お母さんが一緒にいってくれて助かりました。案の定、初日微熱、夕食は箸もつけない。そこでおかあさんとだけ一緒にして過ごすことでごはんも食べることができました。部屋も母親と一緒に一晩過ごしてもらいました。二日目の夜は自分から、はじめの部屋(花子さんと同室)に戻ることができました。それだけで、感激でした。その子なりに成長しているのです。 

 2学期から転校してきた花子さん、「修学旅行には行かない」という手紙を1月末にもってきました。3月21日にK市へ引っ越すそうです。スキー授業でやっと笑顔が見えてきたというのに、また暗い表情でした。花子さんは前の学校では相談室登校で、授業を受けるという目的で転入してきました。「成績さえ良ければいい」という考えをもっているように僕には見えました。人との交流が苦手です。これからの転出先で修学旅行が3年次であるので、こちらでは行かないにといいだしました。そこで僕も、彼女が相談している市の相談員に、相談しました。「修学旅行は行った方がいい」と相談員もいいます。花子さんもなんとか行くことにしてくれました。 

 <修学旅行には行った方がいいことがある>という強い予想があったから、僕もがんばれたのでしょう。 

 修学旅行ではいくつか問題もありましたが、おおむねよかったなあとおもいました。初日の夜は寛美さんの誕生会、僕がケーキをごちそうし、クラスメートもカードとプレゼントを渡し、寛美さんもにこにこしてうれしそうでした。清水焼の絵付けもやり、はじめて人前で絵を描く姿を見ました。

 帰りの新幹線では花子さんも一緒にゲームをやって楽しそうでした。クラスの生徒がみんな仲良くする姿を見るのっていいものです。

 僕は生徒から「先生、好き」などと言われるような人気のある先生ではありません。他に、子供達からすごく人気のある先生がいます。生徒から「先生は行かなくていいからI先生と行きたい」などと言われたこともありました。そのときはショックでしたしI先生がうらやましくなるときもありました。でも、修学旅行に行って、子供達のこういう変容をみるとうれしくなります。今回の修学旅行は僕にとってもいい思い出となり、終わってみると満足感漂うものでした。よかった。よかった。

(名前はすべて仮名です。)

追記

この場目緘黙の生徒寛美さんは、はじめ保健室にずっといたので、教頭が学習室を作ってくれました。そこで、空き時間の先生にお願いして学習指導をしてもらいました。また、学級でも、節目節目に、生徒達が、寛美さんを訪ねて、すてきメッセージ(いいところが書いてあるカード)を渡したりしていました。